高校数学マスマスター

学校や塾では教えてくれない、元塾講師の思考回路の公開

勉強の前に

なぜ数学を勉強する必要があるの?学校の先生が答えてくれない疑問を解決するよ

こんにちは。マスマスターです。

今日はこのサイトのテーマでもある「なぜ勉強するのか?数学を勉強して何の意味があるのか?」というお話を、私自身が子供の頃に感じてきたことを織り交ぜながらお話ししていきたいと思います。

どうやら勉強しておいたほうがいいらしいのでやる

私は自分から勉強する子供で、親から勉強しなさいと言われたことがありませんでした。(自分で勉強しているから親は口を出さなかったのだと思いますが)

勉強熱心で積極的な子供だと思いますか?実はそういうわけでもないのです。

その当時の感覚を振り返ってみると、

「できないことが嫌だからできるようにしておこう」
「先生がここがテストに出ると言っているのだからできるようにしておこう」

という動機で勉強していたのだと思います。

これってとても受動的な勉強の仕方ですよね?勉強する意味なんてまったく考えず、とりあえずのやったほうがよさそうだという理由で勉強していました。

三角形の面積なんて求めて何の意味があるのか、なんてことは当然考えていません。

三角形の面積を求めて、それが合っていればテストの得点になるのだから良いということしか頭にないのです。

勉強を頑張ることによって将来どう役に立つかなんて先のことは考えていないわけです。

とりあえず要求されたこと(宿題やテスト勉強)を早く終わらせれば、あとは何も気にせず遊んでいられるのです。そういった意味では、遊ぶために勉強していたとも言えるでしょう。

どうやら勉強した方が良いらしいのでやっておこう、要求されているのだからやっておこう、ぐらいの心構えだったかと思います。

実社会で数学がいかに役に立っていようが自分は子供なので関係ない

先程述べた通り、自分で「勉強を頑張ることによって将来どう役に立つか」ということは考えていませんでしたが、当時の先生も特にその先どういった役に立つのかということまでは詳しく教えてくれなかったように思います。

もちろん解き方は教えてくれますよね。先生なのですから。

でも、特に数学ですかね。数学が苦手な人にとっては数学なんて果たして何の役に立つのか、その部分で引っかかってしまって挫折してしまった人、もしくは今まさに挫折しそうになってしまっている人も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

実は厳密にいうと、実際には数学を勉強する意味は教わっているのです。
教科書内に含まれているトピックなどの項で数学が実社会に役立っている実例が紹介されています。
ただ、それを授業で大きく時間を割いて取り上げるわけではありませんし、ちらっと目にしたとしても「へぇ、そんなこともあるのか」程度で通り過ぎてしまうのではないでしょうか。私もそうでした。

振り返ってみると、その程度の感想しか持たなかったのは「今の自分には関係ないから」ということに尽きると思います。

自分が大人になったときの想像なんて全くできないし、こういう仕事をしたいという具体的ではっきりとした夢もないし、実社会にいかに役立っていようが、何をどう説明されようが、とにかく自分は子供なので関係がないのです。

子供なので当然ながら知識や情報量も乏しく、そもそも後先のことを考える能力自体もまだまだ発展途上なのです。

つまり、少しはっきりした言い方をすると、

大人がいかに力を尽くして説明しても、子供に対して「数学を勉強することに対する心底納得できる意味」を与えることはできない

のです。

数学を勉強する意味は数学を勉強した後でわかる

前の章でお話ししたことは、数学という教科の特性と非常に似ているところがあります。

数学というものは「ある事実」を基にして、新しい「ある事実」が生み出されるという特性があります。

例えば、a = bという事実に対し、b = cという事実が追加されたとします。

このとき、a = cという新しい事実が生み出されます。

一つ一つの事実を積み重ねた結果、a = cが成り立つことは理解できると思いますが、a = bという事実のみではa = cという事実を得ることはできません。

これを現実的な場面に置き換えてみましょう。

a = bを中学一年生で習い、b = cを中学二年生で習うものとします。

a = b は a = cであることを求めるために必要なんだよと説明されても、中学一年生のときにはb = c を知らないので、a = cであることを納得できません。

しかし、中学二年生になりb = c を習った時、中学一年生で習ったa = bという事実を併せると、a = cであることに納得できるはずです。

このように、新しい事実というものは、既存の事実の積み重ねでできています。

既存の事実を使って新しい事実を得るまでは、既存の事実を役に立たないものだと断言することはできないのです。

例えばここでいう新しい事実が非常に役に立つもの(例えばエネルギー問題を解決するような事実)だったとします。

新しい事実を産むためには既存の事実が必要なので、意味がなさそうに見えたかもしれない既存の事実は、結果的には非常に役に立つものだったということが後でわかるのです。

なので、皮肉な話ですが勉強中の身の人には、勉強することの意味はわからないということになります。

意味を考えても今はわからないのですから、意味は考えない方が良いのです。

むしろ、あれこれ数学を勉強する理由を考えすぎたりしてしまって勉強すること自体をやめてしまっていたり、きちんと順番通りに学習できていなかったりしたほうが後々苦労を強いられてしまうわけです。

私の場合は早く遊びたい一心で勉強していただけなので、意味を考えることもなく、要求されたことをこなし続けました。

その結果、大人になった今では勉強する意味はおおいにあると思えますし、勉強することの意味についての持論をこうして語らせてもらうこともできるようになりました。

これは受動的に勉強していたからこその結果だと今では思っています。

目の前にある問題や事実は常に後になってから役に立つので、あれこれ考えないでとりあえず鵜呑みにしてしまいましょう。

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何の役に立つかは後(大人)になってからわかるようになります。

現実社会で起こり得る問題と比較すると数学は実に簡単

とはいえ当時の私とは違って、勉強することに意義を見出しながら勉強したい人だっているでしょう。

そんなときはどう考えればよいでしょうか。

例えば飛行機に使われているとても小さいネジを、ここでみなさんに見せたとしましょう。

おそらくそのネジだけを見て「これは飛行機に使われているものだ」とは到底思うことはできないはずです。

数学を勉強することの意味について、例えば次のような説明があったとします。

「飛行機のようなどんなに大きく立派なものでも一つ一つの小さな部品が組み合わされてできているんだよ、そしてこの小さいネジを作るためには数学が使われていて、飛行機を作るためには数学を勉強することが必要なんだよ」

しかしそんな説明をされても、「飛行機をつくりたいわけじゃないし。。。」という考えになってしまう方が多くいらっしゃると思いますが、そう思ってはいけません。

いえ、実際にはそう思っても良いですし、飛行機を作りたくなくてもいいのですが、論点はそこではありません。

全てのものはなんらかの部品の組み合わせでできているということが重要なのです。

全てのものはなんらかの部品の組み合わせでできている

例えば、何らかのチームを作るうえでは人間自体がチームの部品となります。

部品が人間ですから思った通りに動かないこともあるでしょう。

それに反し、数学の部品としての三角形を考えます。三角形の面積は何があろうがいつの時代であろうが底辺 × 高さ ÷ 2 なのです。

人間とは異なり、急用ができたり、遅刻したり、欠席したりといったことは起きません。

つまり数学で扱うところの部品は、想定外の動きをしません。その意味ではとても簡単な部品なのです。

また、世の中に実際に存在しているものについて、ある製品には老朽化や故障のリスクが伴ったり、あるサービスは時代とともに不要になったり、法改正によって形を変えなければならないこともあるでしょう。

実社会に存在している何らかは、それ単体で永久に形を変えずに存在し続けることはできないのです。

それゆえに難しく、対処しなければならないことが必ず発生し続けます。

実社会で発生する問題と比較すると、学校で習うレベルの数学は非常に簡単だと言えます。

これは、一切の複雑さが排除されていることと、求めた答え自体が有益である必要性がないことに起因しています。

一切の複雑さがない、安定的な条件下で物事を考えられる

一切の複雑さが排除されているということは、実社会ではあり得ません。すべてのものが変わっていく可能性があります。

それは物理的要因、社会的要因問わずさまざまであり、中には予測や計算自体が不可能なものだってあります。

つまり、実社会では全てが「不安定」であるがゆえ複雑なのです。

それに対し数学の問題では、数字や図形や条件が紙の上に与えられ、そこに書かれた内容だけが考慮対象となります。紙の上が全てですから、外的要因が入り込む余地はなく、それはつまり「安定」ということになります。

また、数学における部品の扱い方自体も非常に「安定」で、三角形の面積は 底辺 × 高さ ÷ 2 です。外的要因によってこれが変わることはありません。

このように数学の問題は、実社会の問題に必ず存在する「不安定さ」を一切除外した状況で取り組むことができるのです。

この状況で数学の部品を組み合わせていき、一つの結論を導いていきます。
実社会で部品を組み合わせていく場合、例えばチーム構成人員をどう配置するか、予算はいくらか、期限はいつか、など様々な考慮事項があって結論は一つになりません。
ゆえに実社会の問題は学校の数学の問題より難しいのです。

数学はよく、答えが一つになるから好きとか嫌いとか言われることがありますが、ここでは好き嫌いの議論は置いておきましょう。
数学は、簡単だから答えが一通りになるのです。

与えられた条件のもとで、良い意味で、机上の空論として完結させることができるのです。

これってすごくないですか?

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数学における安定的な部品を使って物事を対処していくことは、実社会に存在する不安定な部品への対処方法をも学んでいることになります。

数学ではわからないものを仮にxとおいたりしますよね?
これによって安定な部品に不安定さが与えられます。

よって、不安定な部品は安定な部品の延長上にあるので、実は安定な部品と不安定な部品の基本的な扱い方は同じになります。

そしてそれに気づけたら、数学の問題を解くのと同じように実社会の問題を解決していけるようになるでしょう。

求めた答え自体が有益かどうか考えなくて良い、ただ問題を解くだけ

また、求めた答え自体が有益である必要性がないことについても掘り下げたいと思います。

実社会でなんらかの行動を行うときに必ずついてまわるのが、それをやって何の役に立つのかという議論です。

大抵の方はお金を稼ぐ必要があるので、営利活動を行いますね。

営利活動というと聞こえが厳かですが、社長や経営者といった立場でなくとも、何らかの所得を得ている者はみな営利活動者に該当します。

営利活動の目的は利潤を得ることですが、利潤を得るためには誰かからお金をもらう必要があります。

お金を払う側からすると、それに対してお金を払う価値があり、お金を払ってでもその商品やサービスが欲しいのでお金を払うという構造になります。誰かがそれを欲しており、それを提供できているならそれは人の役に立っていることになります。

逆に人の役に立たないようなことをしても誰もお金を払ってはくれないので、人の役に立たなければ営利活動を続けることはできません。

営利活動は人が欲しているものが何かを考えるところから始まるといってもいいでしょう。

大抵の方は営利活動を行う必要に迫られますので、大抵の方は人の役に立たなければならないということになります。

それはつまり、ただただ問題を解く(=解決する)だけではなくて、それと同時にその行為自体の利害関係を考えたりしなくてはならず、様々な人や組織も絡んだりして、、、要するに複雑怪奇で難しい!ということです。

数学の問題を解いている間はただただその問題自体のことだけを考えていればいいのです。その問題を解くこと自体や、得られた答えが有益かどうかなんて一切考えなくていいのです。

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つまり現実社会と比較すると相当簡単なのです。

そもそも日本国民の義務として勉強しなければならない

さて、少し主旨から逸れますが現実社会、つまり大人になってからの話が出てきたのでついでに説明しておきます。

営利活動を行っているということは、日本国憲法における勤労の義務を全うしていることと同じであり、営利活動を元に得た利潤が納税に回され、自動的に納税の義務も全うすることになります。

何の教育をも受けず、営利活動を行うことが難しいということは想像に難くないでしょう。

ここでいう教育とは学校教育に限りません。例えばコンビニでアルバイトを始めたとして、レジの打ち方を教えてもらうことなども当然教育に含まれます。

営利活動を行うには、それに必要な知識を習得する教育段階というものが必要になるのです。

勤労と納税の義務は営利活動によって全うされますが、営利活動を行うには教育が必要となるので、

日本国憲法に規定されている国民の三大義務

・教育を受けさせる義務
・勤労の義務
・納税の義務

について、教育の義務が全うされないと、その他の義務も自動的に全うされなくなってしまいます。

教育の義務は勤労と納税の義務を全うするためのものだと言っても良いでしょう。
その意味では、学校教育とは、営利活動を行うための訓練であると言えます。

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・・・勉強しないと生きづらい世の中に設計されているのは間違いありません。

数学自体が、というより数学的思考が将来役に立つ

学校教育とは、営利活動を行うための訓練と言いました。

つまり、人の役に立つことができるようになる訓練であると言えます。

しかし、皆さんが学校で教わった内容で、これは人の役に立つことだと実感できる場面は残念ながらほとんど無いでしょう。

数学の勉強をして役に立つのでしょうか?それで人の役に立てるのでしょうか?数学の問題を解いて答えが1だったとして、誰の役に立つのでしょうか?

実際のところ、「それ自体」は誰の役にも立ちません。

ただし、ここで重要なことがあります。

数学特有の「安定」な状況(実社会特有の複雑さが排除された、実社会よりも簡単な状況)で物事にどう対応するかを学ぶことが万人にとっての数学を学ぶ意義なのです。

実社会は「不安定」ですから、「安定」であればあるほど実社会とかけ離れます。これが数学に対して意味がないと感じてしまう方が多い原因かもしれません。

しかし、実社会は数学の延長上にあります。

いずれは「安定」を複雑化した、難しい「不安定」な状況下で戦っていかなければならなくなります。

そのための訓練として数学を学ぶ必要があるのです。

「三角形の面積を求めて何の役に立つんだ」という視点ではないのです。

その三角形の面積がそれであるときに、次に『何を論じることができるか』に重きをおいてください。

既存の事実は新たな事実を知るための部品にすぎませんから、その部品を使って新たな事実を探してください。

その繰り返しで数学の問題は解決していきます。

実際に数学が直接的に必要になる仕事の方が少ないと思いますが、それでも数学を学ぶことの利点は多く存在しているのです。

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数学自体が大切なのではなく、数学的に物事を対処するということが大切であり、それはどんな仕事に就こうが変わりません。これは絶対に、です。全てのものはなんらかの部品の組み合わせなのですから。

まずは「数学」という手段を使って簡単な問題解決方法を学んでいるのですよ

世の中に実際に発生している種々の問題は、ただ一つの解決方法や答えしかないというわけではなく、そもそも答え自体が用意されていないということも多くあります。

毎日のニュース番組やワイドショーでの議論を見ていると、そう感じませんか?

そして、多くの人間が共有している問題について自分なりにこれが答えであるということを納得してもらうためには、それに関係する人間を説得する必要があります。

他人を説得したいときには、数学で学ぶ「証明」という手段をそのまま適用することが可能です。
今どのような状況なのか、その状況下で何が言えるか、その先にある結論は何か、ということを順序よく組み立てていくことによってそれは成し遂げられるでしょう。

そんな現実社会に比べれば、答えが必ず用意されており、解き方も与えられている学校の勉強というものは、世の中の問題を解決するよりもはるかに簡単です。

学校の勉強の問題が解けないようでは、世の中の問題を解決することはできませんよね?

学校の勉強は、それよりも難しい実社会の問題を解くためにあると私は考えています。

皆さんはそのために、まずは答えが決まっている簡単な問題を通じて、問題全般に対する解決方法を学んでいる途中段階にいるのです。

そのように考えれば、無意味に見えるかもしれない学校の勉強に対する見方も変わってくるかもしれませんね。

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